【奥の細道37】小松(石川県加賀)
小松と云所にて
しほらしき名や小松吹萩すゝき
此所太田の神社に詣。真盛が甲錦の切あり。往昔源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ龍頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁記にみえたり。
むざんやな甲の下のきりぎりす
小松では多太神社(原文では「太田の神社」)に二度、参拝している。この神社に奉納されている兜と甲冑を見ての思いに紙幅を割いている。
この鎧兜は、源平合戦においてこの地で討ち死にした平家方・老将の斎藤実盛のものである。木曾義仲の軍に追われ敗走する平家のなかで、ただ一騎踏みとどまった実盛。自分の老いを敵方に知られ憐れみを受けることを恥とし、白髪を黒く染めて戦うが討ち取られる。
池で実盛の首を洗ったところ、真っ白な頭髪が現れ、かつて木曾義仲の命を助けたことがある実盛であることが露見する。
実盛の首を洗ったという池は、加賀市に首洗池という名前で今も静かにたたずみ、池のほとりには故事を再現したブロンズ像が建てられている。
平実盛と木曾義仲をめぐる悲劇は謡曲『実盛』として後世に伝えられている。
首洗池にある「むざんやな〜」の芭蕉句碑
多太神社