おくのほそ道
尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず。都にも折〃かよひてさすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。 涼しさを我宿にしてねまる也 這出よかひやが下のひきの声 まゆはきを俤にし…
あるじの云、是より出羽の国に大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て人を頼侍れば、究境の若者反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我我が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして…
小黒崎みづの小嶋を過て、なるこの湯より、尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。 岩出山を出立した芭蕉たちは、前日も行った小黒崎、水の小嶋を経て鳴子温泉に至る。ここにある尿前の…
南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。 芭蕉一泊。この夜、宿でルートについてくわしく訊ね、ルート変更を決めている。岩出山では伊達家ゆかりの有備館の庭園が見どころ。 「岩出の」里は現在の岩出山。有備館駅前には伊達家ゆかりの有美館が待ち構える。 有…
大山をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。 蚤虱馬の尿する枕もと 封人の家で足止めを食らう 三日のあいだ暴風雨で宮城県と山形県境に近い民家で逗留を余儀なくされた。この家の跡が現在も残っている…
五十丁山に入て永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機千里を避て、かゝる山陰に跡をのこし給ふも貴きゆへ有とかや。 名刹・永平寺に対して記述は60字程度と、芭蕉は驚くほど素っ気ない。 芭蕉の素っ気なさとは裏腹に、永平寺門前の客引きは熱い。クルマで通…
山中の温泉に行ほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。花山の法皇三十三所の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて那谷と名付給ふとや。那智谷組の二字をわかち侍しとぞ。奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上…
丸岡天竜寺の長老古き因あれば尋ぬ。又金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて、此處までしたひ来る。所〃の風景過さず思ひつゞけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて、 物書て扇引さく余波哉 芭蕉に金沢から随行した立花北枝(ほくし)とこ…
大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。猶加賀の地也。曾良も前の夜此寺に泊て、 終宵秋風聞やうらの山 と残す。一夜の隔、千里に同じ。吾も秋風を聞て衆寮に臥ば、明ぼのゝ空近う読経声すむまゝに、鐘板鳴て食堂に入。けふは越前の国へと心早卒にして、堂…
温泉に浴す。其功有明に次と云。 山中や菊はたおらぬ湯の匂 あるじとする物は久米之助とていまだ小童也。かれが父誹諧を好み、洛の貞室若輩のむかし爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となつて世にしらる。功名の後、此一村判詞の料を請…
小松と云所にて しほらしき名や小松吹萩すゝき 此所太田の神社に詣。真盛が甲錦の切あり。往昔源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ龍頭に鍬形打たり。真盛討死の後…
ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて呉天に白髪の恨を重ぬといへ共耳にふれていまだめに見ぬさかひ若生て帰らばと定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物先くるしむ。只身すがらにと出立侍…
弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧〃として、月は在明にて光おさまれる物から不二の峯幽にみえて、上野谷中の花の梢又いつかはと心ぼそし。むつまじきかぎりは宵よりつどひて舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻の…
月日ハ百代ノ過客ニシテ、行キ交フ時モ又旅人ナリ。 舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、海浜にさすらへて、去年の…