街道遍路

歴史街道・史跡探訪ピンポイントガイド

「熊」世界史上最悪7人殺しの集落(後編)

じつを言うと僕はこれまでに何度も苫前を通過している。国道沿いに一枚板のように商店が並び、三つか四つの信号に引っかかって停止する。それまでの苫前は僕にとって北海道によくある町のひとつにすぎなかった。
 苫前の地名を示す道路案内板の下を通過してから、僕は速度を落とし、海賊の来襲に脅える小さな船団のように注意深く走った。道ばたでは、熊のキャラクターの看板を何度も見た。
 熊の町、苫前。
 7人の婦女子が犠牲になった大正時代の惨劇が、こんなかたちで後世に残るとは当時の開拓使たちは想像しえただろうか。

国道から一本わき道に入ったところに、苫前郷土資料館があった。開館時刻まで30分ほどあったので、バイクを停めて入口の前で待っていると、千葉からやって来たというレンタカーの夫婦がやって来た。

「開館まで30分ぐらいあるみたいですよ」
 と僕が言うと、
「あんた、オートバイなら、山の奥の方に行ってくるといい。事件現場に当時の小屋が復元されてる。途中で未舗装路になるけど、まあ小一時間もあれば行って帰ってこれるんじゃないかな」
 ちょうどそのとき、資料館の人が出てきて、時間前にもかかわらず中に入れてくれた。
 入場料を払うと、最初に「渓谷の次郎」に出迎えられる。体重350kgの雄。仕留められた場所は惨劇があった場所と同じ三渓地区。あるいは大正時代のあの熊の子孫かもしれない。

 

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 ●苫前郷土資料館の入口に屹立する「渓谷の次郎」

昭和60年4月8日、苫前町字三渓 通称奥三渓に2名のハンターが入り、サカンベツ沢の奥 46林班のガンケ、積雪1.5m 大きく開いた雪の割れ目で、仮眠中の羆を発見。午後4時02分に約40mの距離から発砲。下アゴから頭部へ2発の弾丸が命中して射止められる。体重350キロ 雄 苫前町内の山林で射止められた羆は7年ぶりである。(資料館案内板より)

 

 

 奥に入ると、日本最大記録を持つ「北海太郎」がいた。

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●幻の巨熊「北海太郎」

 この羆は、町内周辺の山に、毎シーズン出没し、幻の巨熊として追跡8年。名人コンビ2代目ハンターの執念により、ついに昭和55年5月6日、羽幌町内築別 通称シラカバ沢で射止める。体重500キロ。雄。身長2.43メートル。

 

 

体重500kg。幻の巨熊だ。こいつは圧巻だった。でもなぜか凶暴な感じはしない。入口にいた350kgの渓谷の次郎の方が凶暴そうだ。7人殺しをした熊も350kgだった。人間もそうだが、心優しい巨人は多い。北海太郎はそこにある記録では人を襲ったという話は出ていない。体が大きいというだけで8年も追いかけまわされて殺された北海太郎がなんだか少し気の毒な気がした。

 部屋の壁にはさまざまな熊事件の資料が展示されている。7人殺しの三渓事件に関しては、事件の克明な経過が記されたボードや、熊の進入ルート、事件解決までの熊の足どりと被害にあった10件の家の位置関係図。なかでも目を引くのが、事件現場を再現したろう人形館だ。また、別の部屋では、三国連太郎主演の映画『熊嵐』が上映されている。
 映画を見たかったが、山奥にある事件現場に早く行ってみたくて資料館を後にした。
 国道で内地側に少し入り、そこから道道で20kmほど走ると一件の農家を最後にひとけがなくなる。

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●道道を進んでいくと、やがて舗装が途切れ、林道になる。この先に、熊による史上最悪7人殺しの現場が待っている。あたりに人かげはなく、異常な緊張感が走る。

 

舗装も切れ、山深い林道になった。が、まもなく事件現場を再現した小屋に行き着いた。

 


 誰もいない。木々の葉がこすれあう音がする。木漏れ陽が地面につくる影がいろんなふうに形を変える。強い磁気のようなものが、この空間を特別なものにしていた。煙草を吸っていたのに、いつの間にか火が消えたことにも気づかないまま、ただじっと立ち尽くしていた。

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 小屋を破壊する巨熊のレプリカはよく見ると、木の柵に隠れている下半身の部分がなかった。ここで唯一笑えるものはそれだけだった。真ん中に鎮座している倒木は、事件のころからのものだと案内板に書いてあった。事件の夜、初冬の底冷えする闇のなかでこの木は、部屋から漏れるあかりと逃げまどう人々の影を映していたのかと思うと、そら寒くなった。

<激しい物音と地響き、窓のあたりを凄まじい勢いで打ち破り、イロリを飛び越え巨大な熊が崩れ込んできたのです。大鍋はひっくり返り焚火はけ散らされ、ランプは消えて逃げまどう女子達に巨熊はおそいかかったのです。
 臨月の婦人は「腹破らんでくれ!!」「のど喰って殺して」と絶叫し続け、ついに・・・(後略・苫前町史跡案内板より)>

 タイミングが悪いことに突然、激しい便意を催してきた。工事現場にあるような簡易式トイレがあったが、あの文を読んだあとでそこに入る勇気はなかった。だから僕は簡易式トイレわきの大自然に放った。