ガソリンを求めて富山に
関東のガソリンスタンドは軒並み長い給油待ちの列。相模原の方では三時間待ったという人もいた。
おかしい。東北は別として、足りないはずはない。せこい性根と不安の連鎖がこの事態をうみだしているような気がしてならない。平常心。
平常心・・と豪語してはみるが、ガソリン残量が半分を切った程度で、なんとなく不安になってしまうのも確かで、ちょっと少ない待ち列を見ると、後ろにつきたくなってしまう。
せこい。せこいおのれがなさけない。
こうやって、みんながちょこちょこ入れるから、たいへんな列ができるし、そうなると、スタンドの方も給油量に制限をつけるしかなくなり、さらに、満タンにしないと不安な心理が、不必要にまたどっかの列に並ばせようとするのである。
世で生じる悪化、あるいはスパイラルというものは、たいていこういう小さなせこさの連鎖が原因である。このせこさからおのれを解き放つべく、あてのない給油の旅に出ることにした。
家族をのせた商用車は、東名高速を西に走る。
途中、浜名湖サービスエリアに寄ったら、ガソリンスタンドのはるか手前から長い車列。
ここまで来てもだめかと思ったら、四台ぐらい前のトラックから運転手があわてて飛び降りてきて、なにやら「ちがうちがう」とわれわれにむかって手を振っている。じつは、このおっさんは路肩にトラックを停車して休もうとしていただけなのだったが、給油にかんして完全に弱気になっている関東人は、停車しているクルマを見るや、反射的に最後尾についてしまうというだけのことだった。案の定、前のクルマはみな、関東ナンバーである。静岡や関西ナンバーは「こいつらあほちゃうん」という感じで、しゅらしゅらっと横を抜けて颯爽とがらがらのスタンドに入っていった。
まさにガソリンスタンドは、がらがらであった。ひさびさに、すがすがしい光景を見た。
しかしながら震災支援のために、一般車は20リットルの給油制限がかかっていた。
次は岐阜のどっかで給油した。こちらはガソリンは20リットルの制限があったが、軽油は制限がなかったので、ひさしぶりに満タンにできた。給油しているあいだ、一台のクルマもスタンドに入ってこなかった。
というより、そもそも道を走っているクルマがほとんどいないのであった。
飛騨トンネルを抜けると、深い雪景色になった。
女子チェーン練の成果をいまこそ、と思ったが、完全に除雪されていて、ぜんぜんチェーンを巻くようなシチュエーションにはならなかった。
われわれ一家はさらに北上し、富山に至った。
富山のガソリンスタンドはじつに平穏だった。
コンビニに寄ってみると、電池も米もふつうに置いてあった。富山の人たちは、じつに平常心なのである。見習わねば。ということで、平常心をもってへらぶな釣りをすることにした。
富山県氷見市の大浦池。駐車場、トイレ、釣り桟橋あり。無料。
しかし、よく見ると桟橋が半水没している。しかし平然と釣り竿をのばす富山人の豪胆な平常心、見習いたいものである。
富山県高岡市の薬勝寺公園池。ここのヘラ師たちには、あれじゃ釣れねーよ、と笑われた。みんな長い竿を出していたが、僕は特価品の短竿一本しか持っていないのである。確かに釣れなかった。アタリもなかった。
雨晴海岸で写真撮影。
高岡の健康センターで一泊。地元の人たちは、じつに平静、というかのほほんとお笑い番組を愉しんでいた。そういえばお笑い番組、ひさしぶりな気がする。なんかほっとした。
翌日、愛知県豊橋近辺のへらぶなのいそうな池を探索。
しかし豊橋の池はたいてい釣り禁止になっていた。
唐沢池。釣り禁止。
しかたなく帰りがけに、地元の野池に行ったら、釣れた。娘も釣れ・・かけた。糸が切れてバラしてしまったのだ。
家にもどると、なんのことはない・・近所のガソリンスタンドの待ち列は解消されていた。翌日から、がらがらのガソリンスタンドの光景がもどった。なんだったんだろう、ほんと。そう思っていたら、こんどは放射能の「水」騒ぎである。近所のスーパーやコンビニから、水が消えた。
ガソリンの件で、いいかげん気づいてほしいものである。
不安になったら、へらぶな釣りに行くとよい。